- スプリット・フィンガー・ファスト・ボール(スプリッター)は大リーグで1980年代に大流行した球種
- スプリッター誕生の恩人は誰か?
- スプリット・フィンガー・ファスト・ボールを武器に活躍した大リーガー
- スプリット・フィンガー・ファスト・ボールを武器に活躍した日本人大リーガー
- 2013年にボストン・レッド・ソックスでワールドシリーズ優勝の立役者となった上原浩治
- 上原浩二2013年ワールドシリーズで優勝を決めたスプリッター
- 大谷翔平投手、大リーグデビュー戦で記念すべき最初の三振はスプリッター(20180401)
- フォークボールを投げて大活躍した大リーグのリリーフ投手ロイ・フェイスRoy Face
- ロイ・フェイスは誰からフォークボールを習ったのか?
- フォークボールのルーツを日本のプロ野球側から辿ってみましょう
- フォークボールを日本のプロ野球で最初に投げた投手は中日ドラゴンズの杉下 茂投手です。1954年には杉下投手の活躍で中日は日本シリーズを制しました。杉下投手は「フォークボールの神様」と言われ、日本のプロ野球のフォーク・ボールのルーツは杉下投手です。
- 誰がフォークボールを発明したのか?
- いずれにしろ、現在の日本のフォークボールはハーブ・ぺノック経由ということです。
- 1922年来日の大リーグ選抜チームの投手陣、左から、ジョー・ブッシュ、ハーブ・ぺノック、ウェイト・ホイト この3人は1923年にヤンキースのワールドシリーズ初制覇に貢献しました
- ブリット・ジョー・ブッシュ以前にフォークボール?を投げた投手がいた
スプリット・フィンガー・ファスト・ボール(スプリッター)は大リーグで1980年代に大流行した球種
スプリット・フィンガー・ファスト・ボールsplit finger fastballは略してスプリッターsplitterと呼ばれています。スプリッターはフォークボールから派生した球種だといわれています。日本ではフォークボールを投げる投手は珍しくありませんが、大リーグではこの球種を投げる投手は稀です。スプリット・フィンガー・ファスト・ボールの方が一般的ですが、現在では肩、肘に良くないという認識があり、1980年代をピークに人気は下降気味です。若手有望投手にはスプリッターを投げさせないという大リーグのチームも多くなっています。
スプリッター誕生の恩人は誰か?
シカゴ・カブスのマイナーチームのピッチング・コーチだったフレッド・マーチンFred Martinです。
スプリッター誕生の秘話
シカゴ・カブスのマイナーチームでの話です。ピッチング・コーチのフレッド・マーチンはマイナーリーグの投手達にフォーク・ボールの指導を行ったのですが、これをマスターできたのはブルース・スーター Bruce Sutterだけでした。
ブルース・スーターのスプリッター
ブルース・スーターの手は大きく指が長かったのです。
フレッド・マーチンとブルース・スーターとの出会いがなかったら、もしブルース・スーターの手が小さかったなら、スプリット・フィンガー・ファスト・ボールは生まれていなかったかも知れません。そして、日本人投手も現在のように大リーグでは活躍できていないかったかもしれません。
ブルース・スーターの握りかたには、やがてアレンジがなされました。握りが最初より浅くなり、スプリット・フィンガー・ファスト・ボールへと進化しました。ブルース・スーターはリリーフ投手としてこの球種を駆使し、大リーグ引退のピンチから大リーグ殿堂入りを果たすのでした。
ブルース・スーターの活躍でスプリット・フィンガー・ファスト・ボールは1980年代に大リーグで大流行しました。スプリット・フィンガー・ファスト・ボールは1980年代の代表的な球種だといわれています。ちなみに、スライダーは1960年代を代表する球種です。
スプリット・フィンガー・ファスト・ボールを武器に活躍した大リーガー
有名な投手の名前を挙げて見ましょう。
デイビッド・コーンDavid Cone、 ジャック・モリスJack Morris、ロジャー・クレメンスRoger Clemens、 ジョン・スモルツJohn Smoltz、カート・シリングCurt Schilling、 カルロス・ザンブラノCarlos Zambrano
2018年に時代委員会(旧ベテラン委員会)の投票で大リーグの野球殿堂入りしたジャック・モリス
ジャック・モリスのスプリッターの握り方(フォークボールに近い)
1984年ノーヒット・ノーラン達成
1977年から1994年迄、18年間、タイガースを中心に大リーグで活躍し、通算254勝186敗、通算防御率3.90という成績を残した。完投試合は175を数え、速球、スライダー、スプリッターを武器に活躍しました。コンスタントに成績を残し、怪我に強い選手でした。テイクバックは比較的オーソドックスなタイプです。
2015年に野球殿堂入りしたブレーブスの黄金期を支えたジョン・スモルツ
ジョン・スモルツJohn Smoltzのスプリッターの握り方
ジョン・スモルツ1996年ワールドシリーズでのピッチング
1988年から2009年まで主にアトランタ・ブレーブスで活躍し、ブレーブスの黄金期を、同じく殿堂入りしたグレグ・マダックス、トム・グラビンとともに支えた。通算213勝155敗154セーブ、防御率3.33という成績を残した。右肘の故障でトミー・ジョン手術を受けた後はリリーフに転向し、その後また先発に復帰した。
1996年2度目の1試合20奪三振を達成したロジャー・クレメンス
ロジャー・クレメンスのスプリッターの握り方
大リーグで1試合20奪三振を記録したのは、ロジャー・クレメンス、ランディー・ジョンソン、ケリー・ウッド、マックス・シャーザーの4人だけです。2度記録したのはロジャー・クレメンスだけです。
スプリット・フィンガー・ファスト・ボールを武器に活躍した日本人大リーガー
2013年にボストン・レッド・ソックスでワールドシリーズ優勝の立役者となった上原浩治
上原投手のスプリッターの握り方
上原浩二2013年ワールドシリーズで優勝を決めたスプリッター
大谷翔平投手、大リーグデビュー戦で記念すべき最初の三振はスプリッター(20180401)
フォークボールを投げて大活躍した大リーグのリリーフ投手ロイ・フェイスRoy Face
ロイ・フェースのフォークボールの握り方
ブルース・スーター以前に、スプリット・フィンガー・ファスト・ボールの親にあたるフォークボールを投げて活躍したリリーフ投手がいました。ロイ・フェイスというリリーフ投手です。リリーフ投手ながら、当時は現在よりも多くのイニングを投げていたので勝ち負けが多くついて、17連勝という記録を残しました。1953年から1969年まで主にパイレーツで活躍しました。現在はクローザーという名前は一般的ですが、ロイ・フェイスはそのパイオニアです。104勝95敗、191セーブという記録を残しました。
ロイ・フェイスは誰からフォークボールを習ったのか?
ジョー・ページ1947年ワールドシリーズ第7戦でリリーフ、ダブルプレイで優勝を決めたピッチング
ジョー・ページJoe Pageという元ヤンキースのリリーフ投手から習得しました。
ジョー・ページは1944年から1950年までヤンキースのリリーフ投手として活躍し、1954年にフリーエージェントとしてロイ・フェイスのいるパイレーツに入団しましたが、大きな活躍はできずに、その年に大リーグから引退しました。
しかし、ロイ・フェイスは1954年のスプリング・キャンプでジョー・ページがフォークボールを投げるのを見ました。ロイ・フェイスはジョー・ページがヤンキースで活躍できたのはフォークボールのおかげだと考え、自分も試してみようと思ったのでした。具体的に教えてもらったわけではなく、自分で覚えたそうです。
ジョー・ページの通算成績は57勝49敗、76セーブ、防御率3.53。オールスターゲーム3度出場 (1944, 1947, 1948)、ワールドシリーズ2度出場(1947, 1949)。この当時セーブというのは公式記録ではありませんでした(1969年まで)。ジョー・ページはセーブの価値を高めた最初の投手だといわれています。腕の怪我でヤンキースでの在籍期間は短かったのですが、ワールドシリーズでも大活躍しました。
ジョー・ページと同期でフォークボールで活躍したヤンキースの投手タイニー・ボンハムTiny Bonham
タイニー・ボンハムのフォークボールの握り方
1940年代にフォークボールを投げていた投手は少なくはないようですが、ジョー・ページ以外で有名な投手は、ジョー・ページと同じヤンキースでチームメートだったタイニー・ボンハムです。タイニー・ボンハムは1940年から1946年までの7年間ヤンキース、1947年から1949年まではパイレーツと大リーグに10年間在籍し、通算成績は103勝71敗、9セーブ、防御率3.06です。タイニー・ボンハムはコントロールの良い投手で、通算四球率bb9は1.7でした。ニックネームはタイニー(小さな)」という意味ですが実際の体はその逆で(188cm、97kg)、本来はジャンボの方が似合っていたのですが、勝ち続けていられればどちらでもよいと本人は思っていました。
タイニー・ボンハムはフォークボールをヤンキースでは大成しなかったフランク・マコスキーFrank Makoskyから1938年、カンザス・シティーで教わったそうです。
フォークボールのルーツを日本のプロ野球側から辿ってみましょう
フォークボールを日本のプロ野球で最初に投げた投手は中日ドラゴンズの杉下 茂投手です。1954年には杉下投手の活躍で中日は日本シリーズを制しました。杉下投手は「フォークボールの神様」と言われ、日本のプロ野球のフォーク・ボールのルーツは杉下投手です。
フォークボールの神様、杉下 茂
誰がフォークボールを発明したのか?
その答えを私が知ったのはつい最近のことです。最近は、フォークボールというと歌手の天地真理さん、俳優の天地茂さんのことが頭に浮かぶようになりました。
つい先日、銭湯に行ったら、天地真理さんの曲が流れてきました。
「2人で行くってすてきなことね いつまでも どこまでも……」
「懐かしいなー」と思わず思ってしまいました。
「こんなところで耳にするとは」
さすがに、街の小さな銭湯ならではの経験でした。昔にタイムスリップしてしまいました。
曲名はそのときはわからなかったのですが、気になったので後から調べてしまいました。
「ひとりじゃないの」でした。
この曲は天地真理さんの3枚目のシングルとして1972年5月に発売され、オリコン最高1位(6週)、60.1万枚を売り上げ、天地真理さんのシングルで最大のヒットになったそうです。
でも、天地真理さんはフォーク・ボールとはほとんど関係ありません。名前の真理がマリ(ボール)とも解釈できるので、私のなかでは、つい野球(フォーク・ボール)とつながるようになってしまいました。
関係あるのは俳優の天地茂さんのほうです。天地さんはテレビドラマの『非情のライセンス』というシリーズに出演され、ニヒルな役柄で存在感のある役者さんでした。「江戸川乱歩の美女シリーズ」における明智小五郎役もされていました。ショッキングなことに、1985年、くも膜下出血により55歳の若さで急逝されました。
本題は天地茂さんという芸名にあります。中日が1954年に日本一になったときの監督が天地俊一(あまちしゅんいち)、エースが杉下茂でした。両方を合わせると、天地茂になります。本名は臼井 登(うすい のぼる)ですが、出身が愛知県名古屋市で中日ドラゴンズのファンだったので、芸名を2人の名前から取ったそうです。
天地俊一さんは杉下茂投手の高校時代の監督でもありました。杉下茂投手はフォーク・ボールを天地俊一さんから習ったそうです。
天地俊一さんはフォークボールを、1922年明治大学の学生だったときに、大リーグ選抜の親善野球チームのハーブ・ぺノック”Herb” Pennock(レッドソックス)という、その後大リーグの野球殿堂入りした投手から習ったそうです。しかし、大リーグのサイトで調べると、フォークボールを発明したのはブリット・ジョー・ブッシュであると書いてありました。
ブリット・ジョー・ブッシュも1922年の大リーグ選抜チームの一員でした。ハーブ・ぺノック(1922年当時はレッドソックス、1923年はヤンキースに移籍)とブリット・ジョー・ブッシュ(1922年から1924年までヤンキースに所属)はボストン・レッド・ソックスからニューヨーク・ヤンキースへと時期は違いますが、それぞれ移籍しています。いずれのチームでもチームメイトの時期がありました。
ブリット・ジョー・ブッシュはレッド・ソックス時代にフォークボールを発明したとあります。ハーブ・ぺノックはブリット・ジョー・ブッシュからフォークボールを習ったのでしょうか。
このときにフォークボールを習ったのは明治大学の学生だけではありませんでした。大リーグ選抜チームのジョー・ブッシュと投げ合った早稲田大学の竹内愛一という投手は、ジョー・ブッシュからフォークボールを習ったそうです。大リーグ選抜チームはこの1922年に、早稲田、慶応、明治、以外に関西の大学チームとも対戦しています。
いずれにしろ、現在の日本のフォークボールはハーブ・ぺノック経由ということです。
ハーブ・ぺノックの1927年ワールド・シリーズでのピッチング
ハーブ・ぺノックとブリット・ジョー・ブッシュは1923年ヤンキースでチームメイトでした。1923年はニューヨーク・ヤンキースが初めてワールド・シリーズを制した年で、もちろんベーブ・ルースもチームメイトでした。ベーブ・ルースはヤンキースの投手達にフォークボールを真似るように奨めたせいか、ヤンキースでもフォークボールが普及したようです。
ハーブ・ぺノックは1927年のヤンキース(大リーグ史上最強のチーム:殺人打線の異名あり)のワールド・シリーズ制覇の主戦投手の一人でした。ヤンキースのもう一人の主戦投手は1922年の大リーグ選抜チームの一員だったウェイト・ホイトWaite Hoytでした。ハーブ・ぺノックとウェイト・ホイトはその後、大リーグの野球殿堂入りしています。
1922年来日の大リーグ選抜チームの投手陣、左から、ジョー・ブッシュ、ハーブ・ぺノック、ウェイト・ホイト この3人は1923年にヤンキースのワールドシリーズ初制覇に貢献しました
1923年は1922年に来日した大リーグ選抜チームの3人の投手すべて、ヤンキースに所属して、ワールドシリーズ初制覇に貢献しており、1922年に来日した大リーグ選抜チームは豪華メンバーだったことがわかります。
このチームには外野手としてケーシー・ステンジェルCasey Stengel(ジャイアンツ)もいました。ケーシー・ステンジェルは選手引退後ヤンキースの監督になり、1949から1953までワールドシリーズ5連覇を達成したことで有名です。ケーシー・ステンジェルも大リーグ殿堂入りしています。また、一塁手のジョージ・ケリーGeorge Kelly(ジャイアンツ)も大リーグ殿堂入りしています。
ブリット・ジョー・ブッシュはキャッチボールの際、たまたま変わった握りをしてみたらボールが変わった変化をしたことから、フォークボールを発明したそうです。
ブリット・ジョー・ブッシュは殿堂入りはしていませんが、通算196勝184敗、防御率3.51という立派な成績を残しました。1916年、1917年と防御率は2.57、2.47と良かったのですが、それぞれ15勝24敗、11勝17敗の成績に終わっています。これはアスレチクスがワールドシリーズを1910,1911、1913年と制覇した後、選手の給与の高騰のため、主力選手の多くを監督兼オーナーのコニー・マックが他球団に売り払ったせいで、チームが弱体化したためです。
1916年は36勝117敗、最下位の8位。1917年は55勝98敗、最下位の8位。
それがなければ、楽に200勝は超えていたことでしょう。
ブリット・ジョー・ブッシュ以前にフォークボール?を投げた投手がいた
ニューヨーク・ジャイアンツのルーブ・マーカードのボールの握り方(隣はウォシュバーンというピッチング・コーチ)
ルーブ・マーカードRube Marquardというニューヨーク・ジャイアンツの投手は1911年に縦に落ちる変化球を投げて、成績が急に良くなったそうで、この変化球はスプリット・フィンガー・ファスト・ボールの原型ではないかという説があるそうです。1912年には開幕から19連勝という記録を達成しました(依然大リーグ記録)。
どういうボールの握りをしていたかがわかる上の画像を見ると、スプリット・フィンガー・ファスト・ボールよりもフォーク・ボールの握りに近いように見えます。誰がこの握りを発明したかは厳密にはわかりません。ルーブ・マーカードがこのボールで最初に活躍したことだけは確かです。
ジョー・ブッシュがフォークボールの発明者だという説が残っているのは、ジョー・ブッシュがフォークボールを大リーグで試した最初の打者がタイ・カッブだったので、ジョー・ブッシュは一躍有名になったようです。ルーブ・マーカード以降、他にもフォークボールに似た球種を投げた投手はいましたが、ジョー・ブッシュが一番目立つ活躍をしたのでした。
ルーブ・マーカードとブリット・ジョー・ブッシュは1913年にワールドシリーズで対戦していた
1913年のワールドシリーズは、フィラデルフィア・アスレチクスとニューヨーク・ジャイアンツとの対戦でした。ブリット・ジョー・ブッシュはフィラデルフィア・アスレチクスに、ルーブ・マーカードはニューヨーク・ジャイアンツに所属していました。両者の直接対決はありませんでしたが、それぞれこのシリーズで登板しています。
このとき、ブリット・ジョー・ブッシュはルーブ・マーカードの落ちる変化球を見た可能性は大きいかもしれません。その後、自分でもフォークボールを投げるきっかけになったにちがいありません。
ブリット・ジョー・ブッシュのブリットはbullet(弾丸)と言う意味で、当初、弾丸のように速い球を投げていましたが、その後、球速が衰えて成績が落ちたのを補うためにフォークボールを投げるようになったということです。
いずれにせよ、フォークボール、スプリット・フィンガー・ファスト・ボールの原型を最初に大リーグで投げたのは、ルーブ・マーカードではないでしょうか。
ルーブ・マーカードは1908年から1925年までの18年間、主にジャイアンツ、ドジャースで活躍しました。通算成績は201勝177敗、防御率3.08でした。1971年にベテラン委員会によって野球殿堂入りしています。
コメント
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